2017/08/01

菓子店訪問記ー8「伊勢谷本店」(兵庫県姫路市)・・・旧ブログより移転

 『姫路には過ぎたるものが二つある、山のお城に玉椿』
 木々の緑の間から美しい姿を見せる白亜の天守閣、その壮麗にして緊密な美しさは人々の心を魅了してやまない。白鷺が羽を広げたような美しさから『白鷺城』の愛称で親しまれている国宝、姫路城。

 その時代の粋を集めて作られた壮大な芸術品、世界文化遺産にも登録され、世界一美しい城といわれているこのお城の中で生まれ、以来百六十年以上も愛され続けてきた、姫路の銘菓『玉椿』。
 姫路市の中心でこの二つの過ぎたるものに逢うことが出来た。

 『玉椿』は今から百七十年程前の江戸末期に姫路藩の家老、『河合寸翁』が城主『酒井忠学』と十一代将軍『徳川家斉』の娘『喜代姫』との婚礼の席にと伊勢屋に命じて作らせた和菓子である。『玉椿』には長寿、子宝を願うとの語源があり、これは中国の壮子の「上古に大椿あり、八千歳をもって春となし、八千歳をもって秋となす」との故事からきており、幾久しく将軍家との関係が続いて欲しいとの願いを込めたものとのこと。

 『玉椿』はその姿、形の美しさ、まろやかな舌ざわり、しかも城主の婚礼の祝いの心を託したと言われている銘菓である。素材もその当時としては貴重な卵の黄身に白小豆という最高の原料で作ったものでかなりの力の入れようが分かる。

 「菓子作りは常にこの第二の創業の原点を見つめ、伝統を守るのではなく、伝統を作っていくという心意気を忘れないようにしたい」と。誠に清々しい職人気質を見る思いがした。
 また「決して現状で甘んじることなく技術的にも製品面でも、より良いものを作る。常に勉強と創意工夫を怠らないようにし、市民の為になり、姫路の誇りともなり、日本中でも恥じることのないような菓子作りをしたい」とも。

 伊勢屋さんのその積極的な思考と、常に創意工夫をこらす探究心は時代を越えた今でも、脈々と受け継がれている。

 銘菓『玉椿』のように城主の肝入りで作られ、家老が名付け親という菓子は非常に珍しい。更に時代にあった改良を加えるという伊勢屋さんの希望に満ちた心意気が何とも嬉しい。

 歴史と文化のまち姫路の情報が凝縮された銘菓『玉椿』が土産品となり、御進物となって全国へ旅立ち、美しい白鷺城の思いと共に強い郷愁を誘うのではと思われてならない。
 (2007、10、4旧ブログ投稿記事)
2017/07/03

菓子店訪問記ー7「富留屋」(北海道室蘭市)

 「我立てる 即涼山の頂きの 草のみ青き 霧の上かな」 鉄幹
 「灯台の 霧笛のひびきし 淋しけれ 即涼山の 木の下の路」 晶子
昭和六年六月に室蘭の市民から親しまれている、測量山を訪れた歌人、与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌である。

 この測量山をこよなく愛し、山の恵みを材料として、自然味豊かな菓子作りをしている菓子老舗・富留屋さんを訪問することが出来た。

 比較的歴史の浅い北海道で創業九十九年におよぶ老舗である。菓子作りに必要な材料は子供の頃からの遊び場であり、心に染み込んだ故郷である裏山「測量山」から、山ぶどう、よもぎ、笹など、天然の恵みを得て生活の糧にしている。

 自然の恵みを受けて自然と共生している富留屋さん、北海道の厳しい冬があけ雪解けが始まる頃から社長は毎日そわそわし始めるとのこと。薄紅の空から注ぐ乳白色の霧に視界はほのかに明るみ、不思議な酩酊の世界に社長の心は騒ぐようだ、自然を愛する社長が、自然と一体感をもったとき、自己の存在感が増幅されるとおもわれてならない。

 室蘭の銘菓の原料となる山ぶどうは、社長自らご子息の四代目と裏山で収穫、十月の始め山々に初霜がおりると一段と甘味が増す山ぶどう。山の紅化粧が濃くなる頃、ひときわ大きな真紅の葉が連なる。その影に黒紫の房を見つけた時は感動を覚えるのではないか。直径八ミリ程の球形の果実が黒紫色に熟し十五センチ程の房に二十粒前後。

店では全員総出で房から粒をばらし、水洗い。この収穫の量と品質の善し悪しに翌年の室蘭銘菓の出来ばえがかかっている。自然のものは山ぶどうだけではなく、自分たちで調達できる物はなるべく自分たちで五感を働かせながら収穫する。それが一番納得出来る、品質のいい材料となる。

 現三代目社長は山の幸だけでなく、目の前の海の幸をも素材にしようと思案。色々な思考錯誤を繰り返した執念の結晶として、北海ウニを利用した「ウニ煎餅」を開発。今では室蘭市の名物となっている。その優しい磯の香りと舌に残る味わいは、懐かしい故郷を思い出させてくれる。

 今後とも、伝承されてきた技術に、さらにその時代にあった思考・味覚を追求しながら、富留屋でなければ、と言う菓子作りをしたい、と四代目。また「自然の草花の時々に変わる変化、色合いの移り変わりを意識する心が和菓子屋には必要なのではないか」と。
自然をこよなく愛する、社長の厳しさと優しさに裏打ちされた考え方だと思われてならない。

 何よりも慌ただしい今の時代に、自然を愛する心で、自然の野山に入り、ご自身で原料を収穫して、原料と会話しながら商品化する。現社長とご子息の誠に奥深い菓子作りの一端を垣間見る思いだった。

 裏山、測量山がいつまでも自然のままであらんことを!
 (2007、10、3旧ブログ投稿記事)
2017/06/01

菓子店訪問記ー6「雀おどり総本舗」(愛知県名古屋市)・・・旧ブログより移転

 「雀踊りの甘さを老いも若きも」柔道界の理論に新風を吹き込み、最後の十段とも言われた三船久蔵の書による、菓子司雀おどりの円形の看板である。

 中部地方最大の繁華街栄町、100メートル道路中央のグリーンベルトを利用した、市民の憩いの場、南北2キロにも及ぶ帯状公園、中央には日本最初の集約電波塔として空にそびえるシンボルタワー、このテレビ塔を中心として広がる街並みの一角でこの看板に出会うことが出来る。

 この直径90センチ、厚さ5センチの円形の看板も非常に珍しいもの、今は天然記念物に指定されている南方に生息するサキシマスオウ系の植物、その板のように地上に張り出した板根で作られたもの、と言われている。
 まして、書は柔道の国際化にも貢献し、文化功労者としても顕彰された三船久蔵氏である。

 名古屋の菓子と言えば「ういろ」であるが、中でも、ここ雀おどりの「黒ういろ」は絶品。その歯ざわり、こしの強さ、黒糖の素朴なまろやかさは伝統的技法と、現社長の研究の成果に裏打ちされたものである。

 先代は柔道で「技の三船」と言われた天才三船久蔵に師事し、八段迄成ったとのこと、菓子作りにもその理に叶った柔道の神髄がいかんなく発揮されている。三船十段の柔道は一つの得意技で相手を倒すのではなく、色々な技を使いこなして相手を倒す、まさに「技の三船」といわれるゆえんである。体力、スピード、瞬発力、無駄の無い動き、先代の菓子作りはこの理に叶ったもので数量を限定すれば、包餡機より数段勝ったスピードをあげたという。

 柔道の理に叶った合理性を兼ね備えた先代の技と、現社長の独自の繊細な感性とその研究熱心さが、今も多くの人々を魅了する菓子をつくり出しているのだろう。
 毎年、海外に出掛けてはその国の食文化を見聞きし、製造方法、材料の配合方法による味の持続性など各々の商品の持つ「力」などを調査する。
さらに、その時代による嗜好の変化、季節によっても変わる人々の味覚の変化をも見越す、先見性と独創性にはある種の驚きを禁じ得ない。

 三船柔道の神髄で作られた名古屋の銘菓、まさに「雀おどりの黒ういろに勝もの無し」と言えるだろう。三船の柔道がいつまでも語り継がれているように、雀おどりの黒ういろも、いつまでも人々を魅了し続けるものと思われてならない。
 (2007、10、2旧ブログ投稿記事)
2017/05/01

菓子店訪問記ー5月「竹屋製菓」(北海道帯広市)・・・旧ブログより移転

「帯広のそばやきの味わすれがに寄りし竹屋の大人と語れり 志功」世界の巨匠棟方志功がその店のために品名まで書いた色紙である。

 日高山脈と大雪山系に囲まれた道東十勝平野のほぼ中央に位置している帯広、北に十勝川、東に礼内川、街の中央に帯広川が流れており、大自然に抱かれた町帯広、その一隅にある菓子店竹家さんでその色紙に出会うことが出来た。

 比較的歴史の浅い北海道では三代も続く竹屋さん、この帯広で文化勲章まで授賞した世界の巨匠棟方志功の色紙をかけ紙にした道東の銘菓「そばやき」なんと包装紙まで棟方志功作とは、それも竹屋さんのために商品名迄書かれ、北海道の四季を表した包装紙とは驚きひとしお。

 現在の三代目ご主人によると今から二十五~六年前先代が銘菓「そばやき」に合う包装紙を専門家に頼んだりしたがなかなか自分の考えに合わない、その時ふとテレビに目をやると棟方志功先生が対談で物を作るときの心構えを述べられていた。

 先代「この方だ、このお菓子に合う包装紙を作ってくれる方はこの方しかいない」とやもたてもたまらず、菓子を持参して先生を訪問。
 先生は「このそばやきは、素朴な中にも何とも言えない味がある」と大変喜ばれ、意気投合。

 先代の包装紙に対する考え方は商売として売れそうな物というよりも、この風味豊かな素朴な味わいをもった「そばやき」を生かし、守ってくれる包装紙を作りたいと。なんとお菓子に対しての愛情溢れる心情だろう。

 先代は「菓子屋は自分の力ではなく、関係する皆さん方の御陰のもと商売させて戴いている。この報恩感謝の気持ちが先生の自力よりも広大無辺の他力によって版画がなるというお心に合ったのでは無いか」と「私どもにしては勿体ないくらいの素晴らしい包装紙を残して下さってあり難いと思って感謝しております」と常々話されていたとのこと、先生とのさわやかな交流を忍ばせるまことに清々しい話。

 三代目現ご主人はお菓子は人の口に入る物だから原料を吟味してこの自然豊かな帯広に感謝し、時代に合わせながら基本的な伝統を守っていきたいと。棟方志功の言った「自然を大切にした素朴な味」その素朴な風味で日常の喧騒を忘れさせて貰いたいものである。
 (2007、10、2旧ブログ投稿記事)
2017/04/04

菓子店訪問記ー4「濱田屋本店」(栃木県宇都宮市)・・・旧ブログより移転

 昔は参勤交代や日光東照宮見物の旅人で賑わい「小江戸」と呼ばれていた宇都宮、今では都市基盤整備が進み、近代的な商業都市の様相を見せている。

 立派に整備された宇都宮駅から商店街を抜け住宅街に入る一角に御菓子司濱田屋がある。
 両側に竹林を配し、程よい高さの竹垣、格子戸の玄関、八十年守り継がれた暖簾を入ると正面に木目を浮かせ、畳を利用した商品棚、茶杓、楽茶碗などの茶の湯の道具をも配してあり、ご主人の茶席菓子に対する思い入れの深さを感じることが出来る。

 茶席菓子は茶の湯とともに発展し伝統ある京都の名匠のもとで磨かき抜かれ、茶に調和した季節感に溢れる風味豊かな美しい菓子として、京都という雅びな風土ではぐくまれてきたといわれている。

 現在の三代目ご主人は二十二才の時、その一木一草にも歴史があると言われた京都で修行。「日本の四季が織りなす美しい自然の風物詩を情緒豊かに演出したもの、それが和菓子だと思う」とまた「菓子屋はお客様に対しても素材に対しても誠実でありたい」と誠にすがすがしい。

 「お客様のお名前は皆さん存じあげています」と奥様。殆どがお茶の先生方とのこと。茶の湯で使用されるのも、そのお菓子の美味しさ、お店の方々の心温まる応対の成せることだろう。

 「四季折々の茶の味を引き立てること、器との取り合わせなどを考えながら作っている時は本当に楽しいし、そのお菓子がお客様に喜んで貰えた時は職人として無情の喜びを感じる」と、満足感あふれる表情を見せてくれた。

 これからも菓子作りは、お客様の要望で作る家業的なやり方で自分が納得する和菓子を楽しく作りたいと。

 「日本の歴史、文化を反映している和菓子を今後どう後世に伝えられるか、若い人達も是非本当の和菓子の美味しさ、作る楽しさを知って欲しい、今こそ若い人達と、和菓子屋との歩み寄りが必要な時だ」と、熱心に話されたことが忘れられない。

 お菓子は心なごませるものだから、楽しく作ることを心掛けていると。その気持ちが込められた濱田屋本店さんの栞の一節を紹介させて戴く「一期一会の心を大切に、雅味を創りたきものと菓道追求の日々を、あり難く過ごしております」と。
 (2007、10、1旧ブログ投稿記事)