2017/08/21

古いビデオテープ・・・旧ブログより移転

 各部屋のテレビ、今は全て薄型だかブラウン管22インチ1台は捨てきれず納戸の中!

たまたま来た息子納戸に入り
「なぜ捨てないの」

「ビデオと一体型だし、まだ時々見たいテープも2本あるので」

「DVDに変換してあげるよ」

「それはありがたいすぐ捨てるよ」

 外に出した廃棄予定のビデオ一体型テレビ


 保管していたテープはこれ


 下のテープは磐梯山登山と檜原湖でまだ現役の水泳部員だった泳ぎを昭和35年に8ミリで撮影したものをビデオテープに変換!

  磐梯山頂上


  今と大して変わらず・・・エ、凄く無理があるって・・・そうかなぁ~!

  桧原湖畔で飯盒炊飯(弟と)


  檜原湖で


 水泳、動画投稿したいのだが方法がわからず断念、その内方法が判った時にほれぼれする華麗な泳ぎ披露するつもり。

 上は平成8年にNHK全国ネットで放映された隠れ家建設過程を局からいただいたもの!

 昔の画像を見るとその時々で懐かしさが異なるのはそれなりに歳を重ねて来たからかも…記録媒体の変化などはすぐに対応できるが・・・その当時の体力は・・・!
(2012、10、31旧ブログ投稿記事)
2017/07/31

終戦まじかの思いで・宝物!・・・旧ブログより移転

 毎年この時期になると戦中、戦後の事柄がテレビ、新聞に多く出るのでその当時を思い出す。

 昭和19年頃、住まい(東京杉並堀の内)近くの高台には高射砲陣地があり、砲身をのぞかせていた。

 時々B29が単独で1万mの高さを飛んでくると高射砲の音が聞こえ空に無数の白い塊、だがB29は悠然と飛び去る、その後、弾の破片と思われる鉄片が屋根にぱらぱらと落ちてくる。

 日本機も飛び立つがB29に近づけず引き返してくる。

 B29が飛来すると空襲警報が鳴り庭に掘った防空壕に入る。

 いよいよ米機の飛来が頻繁になると集団疎開が始まる。
 自宅前の掲示板(昭和19年)
 
「疎開していない学童は来る五日午前九時に必ず学校に集まれ・・・堀の内国民学校」と書かれている。

 集団疎開にあたり、家族全員再会は出来ないかも、との覚悟で写真館で家族集合(当時8人)写真を撮り裏に氏名生年月日を記載全員が持っていた。

 自遊人の宝物「砲弾破片、ベーゴマ、武者メンコ、ビー玉、双葉山のブロマイド(厚手)、など」を粉ミルク缶に入れて庭のユスラウメの木の根元に埋めた。

 昨日、長男に

「俺の小学生時代の宝物はどうなっているかな~」

「当時の住まいは今マンションが2棟も建っているので掘り起こされているよ」
だと。

 当時受けた教育勅語教育(生神様天皇の為に一身をささげろ・・)は特殊なものであるとのコメントを頂いたが、それにより命をなくされた多くの人々もいることを忘れてはならないと思う。
(2010、8、13旧ブログ投稿記事)
2017/07/11

パイプの思いで・・・旧ブログより移転

 色々なジャンルのブログを拝見していると過ぎ去った日々の情景を懐かしく思い出すことが多くある。

 それだけ歳を重ねてきた証であるが一瞬若返った気持ちになれる(ブログ管理者に感謝)。

 先日、音楽をメインにした素晴らしいブログで息抜きかと思われるがパイプの写真が見られた。

 パイプを愛用していたのは四十数年前、隠れ家にまだ数本あるはずと先日写真を撮ってきた。


 20年ほど前にやめてタバコもその儘だったが、開けてみると多少香りが弱いかな程度で他に何の変化も感じる事無く当時のままとは驚き!

 現在時々日経新聞などに名前が載る長男と新宿御苑に行った当時の写真(生後9ヶ月半)を!
 
(2010、4、25旧ブログ投稿記事)

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2016/05/13

57年前の熊本城!

 ここ毎日のようにテレビ各局で熊本城の崩壊現場を見る。
 昨日は天守閣の最上部鯱が落ちている映像!

 熊本城訪問したのは昭和34年4月12日(57年前)、4月10日の現天皇陛下ご成婚の提灯行列を福岡で見た二日後と記録に有る。
鯱が確認できる。
  
 覚えているのは崩れた石垣の事「下から見ると登れるように見えるが上に行くほど傾斜がきつくなり登れないようにできている」とガイドの説明!
 
 初々しい(?)学生時代だが当時は長期の遊び旅行でもこのスタイル。
 時々コメントを頂くみさわよう様に撮っていただく。

 連日建造物の悲惨な状況が報道されているが、一日も早く被災された方々が震災前と同じ日常生活がおくれることを・・・!
2016/03/02

おばあちゃんのハゼ釣り(思い出)!・・・旧ブログより移転

 15~6年前、今回の震災で甚大な被害を受けた相馬方面の岩礁にクロダイ
釣りに出かけた。大物の姿などを想像し、海岸を北上しながら釣り糸を垂れた
が6~7時間釣果ゼロ、昼前後何気なく立ち寄った山元町(坂本駅)付近の小さ
な漁港で80歳ぐらいと思われる人の良さそうなおばあちゃんが一人で釣りをし
ていた。

 しばらく黙ってみていたが、竿は竹を2本繋いだいかにも古そうな物、釣り方
を見ていると、全く初めての様子、竿の先を持って2~3メートル先に投げ、魚
の感触があるとソォーット糸を巻いてくるため、魚の口に針が掛からず、魚は
餌についてくるだけ、漁船を陸揚げするなだらかな水際に来ると魚が逃げ出す、
それを捕まえようと裸足で入る。

毎回、同じ動作の繰り返しで滑りはしないか心配の余り声を掛け釣り方を教え
た。竿の持ち方、リールの使い方、引いたとき瞬間的に10㌢ほど早く引くと魚の
口に針がしっかり掛かる等教えたが、旨くいかず、止む無く実施指導、数十年振
りのハゼ釣りをする羽目になった。

 何故一人で釣りをと聞くと「この歳になり始めて釣りをした。連れ合いはボケが
激しく付きっ切りで看病をしており、自分の人生は無い毎日だった、ある日息子
が、毎日家にいてはお袋も駄目になると、釣りに連れて行ってくれ、魚が釣れた
ときは嬉しくて、嬉しくて、その日は興奮して寝られなかった。それから時間を作
っては独りで釣りに来ているのです。本当に人生が明るくなってきた」とのこと。

 指導料として三春のリンゴをご馳走になった。釣り針、おもりなど仕掛け一式
を提供「再会できると良いですね」と名乗らずに分かれたがボケについて考えさ
せられた一日だった。

 今度の震災で山元町の名前が出るたびにハゼが釣れた時の嬉しそうなおば
あちゃんの顔が思い出される。

 あの小さな漁港は多分見る影もないはず、おばあちゃん元気でいるといいの
だが!
 (2011、5、24旧ブログ投稿記事)