2017/08/23

「父親譲り」・・・旧ブログより移転

 「父親譲り」                     平成12年6月25日 

 明治生まれの父親が68歳で亡くなって38年になる。自遊人の宴会芸である歌舞伎の語り、ガマの油売り等は父親から伝授されたもので、その芸はとうに父親を越えたと自負したが母親は生前「まだまだ、とてもとてもレベルが違う」と。

  親戚一同が集まる席等で父親をしのぶために父親ゆずりの声色を要求される時がある。語り口、仕種は父親そっくりと言われる、父親の真似をしてきたため自分独自のスタイルをと思っても一度身についた振りはとても直らない、今ではそれで良かったと思っている。

 父親が子供の頃には巡業の旅芸人一座が来ると旗持ちをして、タダで芝居を見せてもらうのが楽しみだったと。芝居、映画が大好きで新潟から東京に来たのも好きな時に好きな芝居見物が出来ると言うのも理由の一つだと聞いた事がある。新潟出身のため映画を「イイガ」と発音し、子供達で笑いの種にしたことも父親の思い出である。

 自遊人が始めて映画を見たと記憶しているのは昭和23年小学校高学年時に見た邦画は「蜂の巣の子供達」洋画は「サンアントニオ」である。ストーリー等は忘れていたが、数年前テレビで戦後の頽廃した子供達の心に映画をと「蜂の巣の子供達」が誕生、皆に希望を与えたと解説があり、主要部分が放映された。

 当時映画館迄の道筋にあった射的場、入口近くのションベンくさい臭い等当時の光景が蘇ってきた。青梅街道の現杉並車庫当たりの映画館であった。

 父親は映画好きがこうじて映画会社株を購入、映画はタダ。更に東京都交通局に勤めていたため都電、都バスの家族フリーパスもあり、交通費もタダ。自由人の貧乏学生時代から新人企業人時代、ほぼ毎週映画鑑賞。

 石原裕次郎物、小林明物、勝新太郎の座頭市、市川雷蔵の眠狂四郎等、日活映画、大映映画は殆ど見ている。3度の飯より好きだというわけでは無く、時間もあり、友人も誘えて全てタダという不純なものであったが良き思い出である。

 格言:知、仁、勇の三者は天下の達徳なり・・・中庸
(知:深い読み、適切に処理出来る能力。仁:思いやり。勇:勇気。達徳:徳の中の徳)
(2012、1、10旧ブログ投稿記事)
2017/08/10

「法名」・・・旧ブログより移転!

 「法名」            平成11年12月19日

 10年程前、菩提寺(松戸市本土寺)の住職より「母親が既に戒名を持っているのでお子様たちは出費が無くて楽ですね、今の相場は戒名料として2~3百万円程かかりますよ・・・」と。
それを聞いた当時85歳の母親は「本来戒名などは檀家に無料でつくてくれてなにがしかのお布施でいいはず、もし負担を感じるなら子供たちは俗名でいい!」と。

 それならば、神道のように俗名の下に「命」(みこと)とでもつけるか、あるいは公園墓地に良くあるような、石に「和」とか「道」とかをつけるなどと話していると母親「そうだ、いとこに偉い僧侶がいる。お前達夫婦の戒名を頼んであげる」と。

 思いついたらすぐに行動する母親、早速京都見物をかねて鳥取米子の由緒ある寺院へ、ご住職「本来は菩提寺がつけるのだがつけてあげましょう」と、快く引き受けて頂き「それではお好きな文字を一字入れましょう。何がよろしいですか?」と。

 好きな文字と言われてもとっさに思いつかず、また考えてもさほどの文字は出てこず「それでは普段自遊人と気取っているので⦅遊⦆という字を入れてもらおうと皆に話したら「⦅遊ぶ⦆などとは不謹慎で住職に失礼だ」と猛反発。

 そこは気弱な自遊人、泣く泣く「ご住職にお任せしいたします」と。

 早速「・・院法宣日・居士」と「生まれつき能力があり、高らかに法を宣揚するようになる」と説明書きがあり、まことに立派な法名を頂いた。

 大昔、中学を卒業する際、日蓮宗の総本山である身延山の小坊主に内定、事前の挨拶も済ませていたことがあった。法の道に入る予定だったことを思えば不思議な法名である。

 元々、仏教では俗人が悟りを開いて修行を積むと僧侶の階層に入れて貰えるとされている。その際授戒という行事が行われ僧名にあたる戒名がつけられる。
一般人につけられる戒名は死後極楽に行くことを祈って来世に送り出される法名とのこと。

 格言:徳に順(したが)う者は昌(さか)え、徳に逆らう者は亡ぶ・・・漢書
2017/07/06

「お盆」・・・旧ブログより移転

  「お盆」             平成11年8月8日 

 釜石の義母が隣町吉浜の長女宅で亡くなって10回目の御盆である。

 祖霊信仰の行事そのものは日本固有のものがあったようだが、仏教が一般的になるにつれそれらは仏教行事に吸収され今日の孟欄盆(梵語のUllambanaでその音読みを漢字に当てはめたもの)になったという。

 盆は旧暦の7月15日(現8月)を中心とした行事で13日の夕方、苧(お)がらを焚いて先祖の霊を迎え、精霊棚にナスの牛、キュウリの馬や果物などを供える。16日の朝、供え物を川に流して送り盆をし、宵に送り火を焚いて精霊を送るという御存知の行事。

 盆には親類縁者、隣組、藪入りで故郷に戻ってきた方々の訪問を受ける、下界に戻ってきた精霊と共に宴を催す、そのため家族は準備で目の回るような忙しさ。

 東北地方では盆に迎える精霊を「ホカイサマ」と言う。これは供物を入れる器の名「ホカイ」からきているとの事である。

 釜石は通常の8月13日から盆入りであるが、吉浜には7カビと言って8月7日に皆を迎える習慣がある。その為義母のホカイサマを2ケ所で迎える殊になり、霊も親類縁者もあっちゃこっちゃとオタオタするのではと思われる。

 昔は16日精霊流しの日に大忙しくなる人々もいたと聞いた事がある。
漬物屋さんである。
川の下流で流れてくるナス、キュウリを集めて漬物にしたとの事である。確認はしていないがもっともらしい話ではある。

 ついでに「藪入り」とは元々は嫁が実家に戻ることを藪入りと言っていたとのことだが、江戸(元禄)の頃からこのお盆の時期に奉公人が主人から暇をもらって故郷に帰ることを言うように成ったとのこと。

 語源は藪の深い田舎に帰ると言う説がもっぱらだが、父を養うために生家に戻るから「養父入り」(ヤブ入り)とする説もある。その意味から関西や鹿児島では藪入りのことを「親見参」(おやけんぞ)といっているとのこと。

 御仏はさびしき盆とおぼすらん・・・一茶
 (2009年8月7日旧ブログ投稿記事)
2017/06/12

「隣のTさん」・・・旧ブログより移転

  「隣のTさん」                  平成9年5月18日 

 世の中には、何とも説明出来ない不思議なめぐりあわせがある。

 自遊人が70数年前この世に生を受けたのが、都心に程近い杉並区堀之内。
以来新婚初々しい美青年時代もやはり同じ生誕の地。

 その住まいの端に大きな桜の木。この桜には毎年苦しめられた、桜花爛漫どころかガクが降り注ぎ屋根のトヨはすぐつまりそのたびに屋根に上りトヨ掃除、秋も同じ作業の繰り返し。
隣からもクレーム、隣は丁度父親と同時に定年退職したТさん。

 今の本拠地柏の自宅前には小学校の大きな桜、隣の住人もこれまたТさん、それも自遊人と同時に定年退職。

 自遊人の寝室は二階の8畳、廊下を隔てた隣は数年前まで娘夫婦の寝室、なんと娘夫婦の姓はТ。従って我が家の表札は自遊人とТ。

  新入社員時代の最初の勤務地は新橋御成門、隣の席は女子のТさん、十数年後靖国九段南ビル隣の席の管理職はТさん、婿のТ氏の勤務地は隣のトヨタ九段ビル。

1年ほど勤務した東北仙台の時も隣にТさん。

なんとも理屈では説明出来ない不思議なめぐりあわせである。
まさか菩提寺の墓の隣がТさんになるなんてことは・・・・!
 
格言:人と与(とも)にするには備わらんことを求めず・・・書経
(2010、10、1旧ブログ投稿記事)

2017/06/10

「台風一過」・・・旧ブログより移転

 「台風一過」                    平成12年7月16日 

 先週、関東付近を雨台風が通過、ドーム下の小川は何時もは綺麗なせせらぎだが、この日はとうとうと流れる濁流、三本組の丸木橋も流され、近づくことも出来ない有り様。

 長時間降り続いた雨の影響で多分水嵩も増している筈と、野次馬根性的に滝見物に。

 数年前も御世話になった方々と台風一過、日本3名瀑と言われている袋田の暴れ滝に感動したことがあったが、今回の滝はそれを数段上回る凄さ、水飛沫で展望台の欄干にはとても近づけず、その凄さに声も出ず。

 更に上流にあり「裏見の滝」とも言われ、滝の内側に入れる「月待ちの滝」にも行ってみたが、ここも水量が多く飛沫が凄いためとても裏にはいることが出来ず引き返し。

 翌日、台風一過の海岸なら流木等の自然の芸術品もある筈とドームから1時間程の那珂湊近くの海岸へ、やはり思惑通り丸太と芸術的な形をした根っ子を数点収穫。

 さらに海岸線をドライブ、阿字が浦海岸近くにいくと数百メートルに渡り黒々と荒波に根こそぎはぎ取られた海草の帯。

 収穫している人に聞くと「スーパーでも売っているメカブを採っているのです、まだ海につかっているか打ち上げられたばかりの濡れているのを根本だけ切り落としているです」と。

 当然自遊人も参加、車から常備品の山菜刀と袋を持ち出し、採るのにおもしろくなりダンボール2箱、ドームに帰り細くきざみ熱湯をかけ醤油少々で味見、これは抜群。

 夜は久し振りにドームの真ん中に布団を敷、横になると、なんと透明な天井から満天の星空、寝ながら宇宙の神秘に思いを馳せた。

 今回の台風は色々な土産と感動をもたらしてくれた。
 格言:君子は修身の憂いあるも、一朝の憂いなきなり・・・孟子
 (2009、9、5旧ブログ投稿記事)