2017/08/31

カボチャ収穫時期と食べ頃・・・旧ブログより移転

 毎朝ミニトマト愛子の収穫などで庭に出る時は長袖、長ズボン、長靴、手袋、顔面虫除け網などで完全武装!
今朝は十数個なっているホッコリカボチャも一つ収穫!

カボチャは収穫時期と食べ時が難しい!

 先日のテレビで収穫は付け根が茶色くコルク状になってからで(判らなければ全て枯れてからでも良いと)、更に食べごろは収穫後1ヶ月が最適だと、スーパーなどに並んでいるのは倉庫で1ヶ月寝かせて追熟させたのが並ぶとのこと・・・獲りたてと追熟した中を見せていたが確かに熟成度が異なっていた。

 そこでいつでも食べられるように日を置いて収穫し、収穫日を記載追熟させることにした。
苗を庭に5本、隠れ家に5本ほど植えたので多分ご近所におすそ分けができるかも!
 カボチャは隠れ家の食べられないジャンボカボチャのほうが楽しみ!

 今朝はいつも行かない庭のはずれで茗荷を4つ、新鮮茗荷は味噌汁などに入れても最高!
(2011、8、29旧ブログ投稿記事)
2017/08/30

柑橘系剪定・ミニトマトアイコ!

 柑橘系のレモン、ミカン、ポンカンの徒長枝が気になり枝バサミを出すと右柄が外れ非常に不便なので新しく購入!
 左従来品  右今回購入品!
 

 背の低いミカン、レモンは柄が1m迄伸びる枝バサミで十分だが3mを超えるポンカンは高枝バサミで剪定!
 ポンカン!
 剪定前(てっぺんの徒長枝)
 
 剪定後
 
 他の柑橘系の徒長枝も成長著しいが日中の暑さ長時間の作業は無理、枝バサミが届くミカン、レモンは他の植木の邪魔になりそうな部分と高枝バサミでのポンカンの半分程度だけ、また気が向いたら剪定するとしよう!

 昨日も日課の散水時ミニトマトアイコチャン収穫、茗荷も少し!
 
2017/08/29

68年前の今日(集団疎開先より帰宅)・・・旧ブログより移転

 68年前の今日(多分?)、集団疎開先の長野県望月から帰り着いた東京杉並、中央線中野駅から見た光景はいまだに忘れられない。

 環状7号線の内側(都心側)は見渡す限りの焼け野原、所々に焼け焦げた大木、電信柱、学校の防火壁など今映画として宣伝している少年Hの焼け野原の描写そのものであった。

 戦争が激しくなり出した昭和19年、従来1万m上空を飛んでいたB29もだんだん高度を下げて飛ぶようになり庭に作った防空壕に逃げ込む頻度が多くなったと記憶している。

 兄たちが集団疎開に当たり、もはや家族全員で集まることはできないのではと、写真機(カメラ)など各家庭に無い時代落語に出てくる堀之内妙法寺前の写真館(妙法寺の境内)で家族全員の写真を撮り、父親が裏に名前年齢を書き、皆肌身離さず持つように渡された。父41歳、母31歳と書かれている。
 
 最後の集団疎開の際自宅前で写真屋の息子の鈴木さんと!
 


 集団疎開先望月の旅館はそばに豚小屋があり8月15日終戦日に米軍の飛行機が母艦に帰るのに軽くするためか爆弾を投下、豚小屋近くに落下、豚全滅、おかげで帰宅学童全員に豚肉の塊が土産に持たされた。
 我が家は次男、長女と自遊人の3ブロック、冷蔵庫等ない時代長期保存が出来ず、近所の方々に喜ばれた記憶がある。

 そこらじゅうに焼夷弾の残り筒や、不発弾などがあり、仲間は不発弾探しをしていた、信管を抜き中のドロドロの油を取り燃料にするためで今思えば非常に危険なことをしていた仲間がいた。

 勉強は?・・・延焼を免れた役所の出先機関や寺にミカン箱を机代わりにして勉強?したものである。

 国民学校2年生は集団疎開はなかったとの記事を拝見したので・・・!
(2013、8、18旧ブログ投稿記事)
2017/08/28

ミニトマトアイコ・サルビア!

 「野菜の造り方」本によるとミニトマトは第六花房下で摘心、脇芽を欠くこととあるが我が家はそのまま、以前隠れ家で支柱も立てず植えっぱなしにした際、地面に重なり合うようだったがそれなりに収穫したこともある。

 現在支柱は立てているが成長するに任せるとまるでジャングル、2mのキューイ棚にまではえだしキューイと競演しだした。
 作り方本通りにしないせいか量は多いいが型は不揃い・・・!
 
 

 密集しているため片手に入れ物を持ちながらの収穫は難しく両手で隙間を開けながら採り芝生に投げた後ボールに!
 

 サルビア!
 玄関脇サフュニアの懸崖の中から自然生えのサルビア、これもまた可愛らしい!
 
 
2017/08/27

杏卒業式の受付に・・・旧ブログより移転

 今朝方玄関のチャイム、出てみると前の小学校の素敵な教頭先生
「今日は卒業式なので綺麗な杏の花を受付に飾りたいのですが少し頂けませんか」

「どうぞ、どうぞ喜んでいただければうれしいです」
早速男性が脚立を持ってきて
 
 式が始まる前にどのように飾られているか見に行くと

 校長先生にもお礼を言われてこそばゆい思い!

 帰り杏を見ると2階の屋根を超える高さにメジロが数羽
 
 
 
 暖かく良き卒業式日和・・・我が家の杏が受付に飾られているのを見るとなんとなく参加している気分!
 (2013、3、19旧ブログ投稿記事)
2017/08/26

富士登山の思いで・・・旧ブログより移転

  富士山界隈が世界文化遺産に登録された。
丁度60年前の高校1年時に柔道部の仲間3人と登った時の写真を改めてみると当時のことが思いだされる。

 当時は明るい内に富士吉田駅に着きそこから浅間神社にお参り後、登山道を登る昔ながらの登山。

 5合目までの登山道は自衛隊の三脚付きの機関砲が登山道に向いているし登山道には所どころ明治時代の茶店か柱だけ残った廃屋などもあり人っ子一人見当たらず、まことに不気味。

 今でこそ弾丸登山など話題になるが当時も同じ夜通し歩き、頂上でご来光を見て、すぐに下山が当たり前!
 当時の写真を、頂上で


 頂上から山中湖を見る


 下山中


 下山後山中湖で仲間と、左:本橋さん、右:田代さん


 当時歩くこと11時間疲労困憊でもう絶対登らないと思ったが2年後(高3)再度登山、その時も同じ富士吉田駅から歩き始めて9時間。

 矢張り富士山は下から眺めるものと山中湖畔に別荘地を購入し、度々行ったが数年後売却(多分建物建築規制だったと思う)。

 山中湖を泳いで横断したことも、岸辺近くは腹につきそうな水草がゆらゆらその気持ち悪いこと今でも思い出す。
 (2013、6、24旧ブログ投稿記事)
2017/08/25

ガス給湯器カバー作成前・後・現在・・・旧ブログより移転

 昨年暮れ外からの見た目が今一のガス給湯器にカバーを作り、今年挿し芽で増やしたサフィニャを周りに配置、多少は見られるようになったと自己満足!

 カバー作成前・後


 現在




カバーの両隣のサルビヤレウカンサ(アメジストセージ)の花もそろそろ見られるかも!
(2012、7,15旧ブログ投稿記事)
2017/08/24

戦後(子供の頃)食べていたもの・・・旧ブログより移転

孫3号(小3)より電話
「ジジ、昔はどんなもの食べてた?学校で調べるように言われたの」

「昔って恐竜が居たころ?」

「戦争が終わったころだよ、ジジが子供の頃」

「今、みんなが食べてるものは大体あったけど殆ど手に入らなくて、お米も少なかったよ」

「どんなの食べてたの?」

「パパやママでも知っているのはスイトンかな?」

「スイトンて何?」

「ウドン粉を練って片手でちぎって味噌汁のような汁に入れたもので握ったので赤ちゃんのげんこつみたいなものママに聞いて、こんど来た時に作ってあげる」

「パパやママも知らないものは?」

「蛙(赤ガエル)の皮を剥き干して焼いて食べるとかカボチャの茎、サツマイモの茎を煮て食べる、サツマイモの粉やトウモロコシの粉の配給がありそれをハンバーグみたいにして焼いて食べる、とか少しの米に豆やヒエやアワを沢山入れたご飯を食べるとか、山芋の子供のムカゴとか・・・」

「ヒエ、アワって何?」

「インコなどの小鳥のエサで小鳥屋で売っている黄色いものだよ!」

「あとツツジの赤い花などもそのまま食べたよ」

 電話での説明は意外と難しい、山芋の子供のムカゴって?配給とは?・・・相手の年齢に合わせた説明を考えるのもボケ防止になるかも、矢張り実物を見せながらの説明が一番。

  一緒に遊びながら教えるとしよう・・・!(昔、蛙を食べた記事はこれ
(2013、2、2旧ブログより移転)
2017/08/23

「父親譲り」・・・旧ブログより移転

 「父親譲り」                     平成12年6月25日 

 明治生まれの父親が68歳で亡くなって38年になる。自遊人の宴会芸である歌舞伎の語り、ガマの油売り等は父親から伝授されたもので、その芸はとうに父親を越えたと自負したが母親は生前「まだまだ、とてもとてもレベルが違う」と。

  親戚一同が集まる席等で父親をしのぶために父親ゆずりの声色を要求される時がある。語り口、仕種は父親そっくりと言われる、父親の真似をしてきたため自分独自のスタイルをと思っても一度身についた振りはとても直らない、今ではそれで良かったと思っている。

 父親が子供の頃には巡業の旅芸人一座が来ると旗持ちをして、タダで芝居を見せてもらうのが楽しみだったと。芝居、映画が大好きで新潟から東京に来たのも好きな時に好きな芝居見物が出来ると言うのも理由の一つだと聞いた事がある。新潟出身のため映画を「イイガ」と発音し、子供達で笑いの種にしたことも父親の思い出である。

 自遊人が始めて映画を見たと記憶しているのは昭和23年小学校高学年時に見た邦画は「蜂の巣の子供達」洋画は「サンアントニオ」である。ストーリー等は忘れていたが、数年前テレビで戦後の頽廃した子供達の心に映画をと「蜂の巣の子供達」が誕生、皆に希望を与えたと解説があり、主要部分が放映された。

 当時映画館迄の道筋にあった射的場、入口近くのションベンくさい臭い等当時の光景が蘇ってきた。青梅街道の現杉並車庫当たりの映画館であった。

 父親は映画好きがこうじて映画会社株を購入、映画はタダ。更に東京都交通局に勤めていたため都電、都バスの家族フリーパスもあり、交通費もタダ。自由人の貧乏学生時代から新人企業人時代、ほぼ毎週映画鑑賞。

 石原裕次郎物、小林明物、勝新太郎の座頭市、市川雷蔵の眠狂四郎等、日活映画、大映映画は殆ど見ている。3度の飯より好きだというわけでは無く、時間もあり、友人も誘えて全てタダという不純なものであったが良き思い出である。

 格言:知、仁、勇の三者は天下の達徳なり・・・中庸
(知:深い読み、適切に処理出来る能力。仁:思いやり。勇:勇気。達徳:徳の中の徳)
(2012、1、10旧ブログ投稿記事)
2017/08/22

庭整備(芝刈り)!

 一昨日大雨予報が出たので久しぶりに空池に雨水を溜める用意をしておいたが朝見ると一瞬の豪雨のためかあまり溜まらず、掃除用に水を入れた程度!
 

 芝生も伸びているので芝刈り!
 
 縁とゴルフ遊び用カップ周りはバリカンで!
  

 雨で道路ぎわのサフュニアも萎れ箇所が多く花柄摘み、晴れ間が出れば優雅に咲き誇ってくれるだろう・・・手をかけただけ応えてくれるので良しとしよう!
 
 

 多少風があるので芝刈りなど屋外の作業を始めたが短時間の作業でも汗ダラダラ・・・シャワーですっきりした後、クーラ―の効いた部屋で昨年トロトロにした蜂屋柿を凍らせただけの純粋柿シャーベットで一服!
  
 
 美味しい・・・幸せ・・・今年隠れ家の蜂屋柿が豊作だとまた造るのだが・・・!